大阪府と奈良県にまたがる標高642mの生駒山頂一帯に広大な遊園地がひらけ、諸遊戯施設があります。特に夏には下界で味わえない涼線を求め、すばらしい夜景を眺める人々で賑わいをみせています。山上へのハイキングコースとしては、摂河泉展望コースと辻子谷コースなどがあります。
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暗峠は、大阪玉造の二軒茶屋から東へ河内平野を横切り、豊浦から生駒山を越えて大和に出る奈良街道の峠で、江戸時代には、旅人、物資の重要な交通路として発展しました。伊勢参りの人々などで非常な賑わいをみせていました。今も昔の石畳に、その面影を忍ぶことができます。
黄檗宗宇治万福寺の末寺で元瑞雲山巌松寺と称し、河内地方では珍しく黄檗伽藍の雰囲気を伝える寺院です。貞享3年(1686年)夏、かんばつが続いたため、奉宗禅師が雨乞いをしたところ、たちまち雨が降り大龍が宮中に現れたというところから寺号を大龍寺としました。
興法寺は役行者の創設といい、行基・空海もこの寺に来て修行したと伝えられています。本堂にまつられている十一面千手観音像は楠材一本造りのすぐれた彫刻で、行基の作といわれています。境内には神武天皇ゆかりの時雨桜があり、また5月にはスズランが可愛い花をつけます。
髪切山慈光寺は、暗峠の北方近く標高約400mの髪切山にあります。役行者がこの地で修行のおり、良民に乱行していた二鬼を退治してその髪を切ったというのが、髪切の名の起こりと伝えられています。境内は静寂をきわめ、古くから「河内名所図会」に記されるようにホトトギスの名所として有名です。
地元の人々には”石切さん”と呼ばれ、石切劔箭神社とは石を切る鋭い剣や矢を意味し、腫れ物を治す神様として全国的にその名を知られている古い社です。本殿前の樹齢約470年のくすの木は、東大阪市の天然記念物です。参道の商店街は、今も古き商店の面影があり、年中参詣の人で賑わっています。
枚岡公園は、昭和13年に開設され、額田地区および枚岡地区の2つの尾根からなり、その中央部を豊浦渓谷が流下している自然を生かした公園で、面積が約43.4haです。昭和33年に金剛生駒国定公園が指定されるにあたり枚岡公園の全地域も国定公園地域に含められました。本市最大の桜の名所としても有名です。
延喜式の神名帳にものせられ河内の国一の宮を誇る古社です。毎年初めにその年の豊作、凶作を小豆粥を使って占う粥占神事が行われ、秋祭りには多くの太鼓台や地車が宮入りし、華やかで勇壮です。また梅林では、2月から3月にかけて500本の梅が咲き誇り府下随一の梅の名所として賑います。
横穴式石室を主体とし、6〜7世紀に築かれた東大阪市内最大の群集古墳です。古代においてこの地一帯に住んでいた豪族の墓地であったと考えられます。 「郷土博物館」の敷地内には山畑22号墳があり、直径15m・高さ4.5mの円墳で、南側に石室の入口があり中へ入ることもできます。
瓢箪形の古墳を背にまつられた瓢箪山稲荷神社は古くから「淡路島かよう千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」と名調子で売り歩いた辻占の総本山で、日本三大稲荷の一つです。この辻占は、一の鳥居前にある占場に立って往来する人の服装・態度・持ち物などを見て判じたといわれています。
昭和3年日本で最も古いラグビー専用グランドとしてつくられ、メインスタンドは、現在では、28,000人収容できます。関西で行われる国内の大試合や国際親善ラグビーが行われ、特に正月に行われる全国高校ラガーマンにとっては、高校野球の甲子園に匹敵するあこがれのグランドです。
長栄寺は、聖徳太子の開創と伝えられ、本尊の十一面観世音-重要文化財-も太子が自ら刻んだものといわれ、府の文化財に指定されています。本堂は火災で焼失し、文政8年(1825年)に再建されました。境内の奥には、慈雲尊者が修禅研学をしたという双龍庵禅那台が端正な姿で残っています。